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任助親王墓

昭文社発行の広島の地図を見ていると、JR宮島口駅のすぐそばに任助親王墓と書いてあるのを見つけた。
天皇陵が大好きなオレとしては、宮内庁が認定している陵墓は見ておかなくてはならない。

宮島街道を走って、宮島口駅の前まで行き、駅前案内の看板を見てみたが記載されていない。
ふむ・・・・
線路沿いにあるみたいなので、JR西日本の敷地内を走り、踏切を渡ってみると任助親王墓はそこにあった。
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墓内はキレイに掃除されている。
入口にはしっかりと閂をしてあり、外して中に入ろうかと思ったが止めておいた。

宮内庁の看板を見てみると
後伏見天皇八世皇孫 任助親王
と書いてある。

帰宅してから調べてみた。

日本百科大事典によると

「任助法親王。真言宗仁和寺の門主。伏見宮貞敦親王の第四子にして母は三篠太政大臣實香の女なり、大永四年生る。諱は熙明といふ。
後奈良天皇の猶子となり、天文中親王の宣下を蒙る、天文8年12月25日仁和寺の真光院に入り其日薙髪出家す。戒師は僧正尊海なり。
11年4月真光院に於て尊海に従ひて灌頂の壇に入り五瓶の法水に浴す、21年牛車の宣旨を給はり23年直に二品に叙せられ12年禁中小御所に於て百部仁王経諸経の導師を勤む。
元亀3年5月一品に進み天正四年5月修法を行ひ12年(1584)11月29日安芸宮島にて入滅す、年六十。
世に厳島御室といふ。」


極楽寺山百回登山より

京都にある真言宗の仁和寺の門主で、伏見宮貞敦親王の子供として大永四(1524)年に生まれた。
で、後奈良天皇の養子になって親王宣下されてんけど出家した。
で、まあいろいろあって天正12(1584)年に60歳で宮島で死んでしまったらしい。

京都に居ててくすぶってても面白くないんで、世界遺産の宮島でも見ようと思って来たんだろうね。
紅葉まんじゅうやあなごめしは食べたのかな(笑)

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任助親王墓の横に狭いトンネルがある。
高さ2メートル、幅は2メートルくらい。
トンネルの名前は御室隧道・・・任助親王に因んでるんだね。
だって、仁和寺は京都の御室にあるんだモン。

by vivace185 | 2008-08-18 20:52 | 街を歩く  

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